イベント「活きる場所のつくりかた」より関野吉晴さんのおはなしグレートジャーニー、
地球を歩いて気づいたこと
未来の「はたらきかた」はいったい
どうなっていくんだろう?
いろんな生きかたをしている先輩に聞いてみよう。
そんなテーマで行ったイベント
「活きる場所のつくりかた」には、
7組の方々が登壇しました。
そのおはなしの内容を、
読みもののコンテンツにしてお届けいたします。
今回は関野吉晴さんの講演をお伝えします。
(関野さんの内容は全3回です)
関野吉晴さんのプロフィール
第1回
弱いから、遠くまでたどり着けた。

みなさん、こんにちは。
関野です。
ぼくは「グレートジャーニー」という、
アフリカで生まれた人類が
どんなふうに世界に拡散したかの
軌跡をたどる旅を、ずっとやってきました。

もともとぼくは、もう44年前、
1971年に初めてアマゾンに行きました。
そこから20年間は、南米ばかり歩いてきました。
最初の10年はアマゾンをめぐりました。
10年後からはアンデスとか、パダゴニアとか、
ギアナ高地とかも行くようになりました。
ただ、アマゾン以外の南米でも、
リマなどの大きな町にはいないで、
ほとんど先住民の人たちと一緒に暮らしていました。
そして、南米以外は知らない状態でした。

南米の先住民の人たちと日本人って
見た目がよく似てるんですね。
ぼくが町から彼らの村に帰ってきて、
お土産の太鼓とか弓矢とかを持って
裸足で歩いてると、かならず呼び止められて、
「あんたは何族だい?」と言われるほどなんです。
そういったこともあり、ずっと
「この人たちが、どうやって
 この土地にきたかを探る旅をしたい」
と思っていたんです。

彼らがどこからやってきたかというと、
アフリカなんですね。
今、72、73億いるわたしたち人類は
すべてアフリカで生まれているんです。

6万年前、アフリカに
ホモ・サピエンスが登場しました。
6万年前がどのくらい前か、
ちょっと想像してみましょうか。

今日、みなさんの中で、
自分のおじいちゃんやおばあちゃんの名前が
わかる人はどのくらいいますか?
‥‥はい、ほとんどですね。

じゃあ、曾おじいちゃんや曾おばあちゃんの
名前を知っている人は?
すごいですね、けっこういます。

では、家に帰って戸籍を調べたりしたら
「10世代前」までわかるという方はいますか?
‥‥今日はいらっしゃらないですね。
ふつう1人くらいいるものなんですが。
(会場笑)

研究者はだいたい1世代を30年と見ています。
その計算だと、
「10世代前」は300年前です。
江戸時代の真ん中から少し前くらいです。

ただ、その「10世代前」の先祖ですら
わかる人がいませんから、
「100世代前」までたどれる人は、まずいないですね。

でも「100世代前」の先祖がいないと、
わたしたちはいないんです。
そして「100世代前」って、
想像できない数ではないんです。
たとえば1センチに1世代ずつ名前を書いたら、
1メートルあれば書ききれる長さです。

この「100世代前」の祖先が暮らしていたのは
さきほどの計算だと3千年前。
縄文時代です。
もっとも縄文時代は文字がないですから、
名前を書こうと思っても、
残せた人はいないはずですけど。

じゃあ、もっともっと遡ってみて、
「2000世代前」になるとどうでしょう?
途方もない昔かもしれませんが、
これも、1センチに1世代ずつ書いてみると、
20メートルで書けちゃうんです。

この、20メートルで書けてしまう
わたしたちの「2000世代前」の祖先が
どれほど前の人たちかというと、
ざっと6万年前なんですね。
名前を1センチにひとつずつ書いて
20メートル先にあるわたしたちの祖先は、
みんなアフリカにいたんです。
ヨーロッパ人、アメリカ人、アジア人、
日本人、インドネシア人‥‥
みんな祖先はそこにいました。

今、人種差別の問題は
まだ完全には消えていませんけど、
でも、たった2000世代たどれば、
みんな同じアフリカにいたんです。

祖先はみんなアフリカにいたけれど、
今の見た目がそれぞれに違うのはなぜか。
それは、みんな環境に適応したからです。

たとえばスウェーデンとかデンマークの人は
肌が白いですけど、実は彼らの祖先も
2000世代前は浅黒い肌を持っていました。
アフリカでは紫外線が強いので
そこから体を守らなければいけませんから
みんな浅黒い肌をしていたんですね。

でも、北に住むようになると、
太陽の光が弱いんです。
紫外線は人間にとって有害でもあるけれど、
人間は、太陽の光をもとに自分の肌で
生きるために必要なビタミンDを作るんですね。
だけど北に行って、肌が黒いままだったら、
ビタミンDを作るのに十分な光を
肌に取り込むことができず、
骨の異常が起こって、早死にしてしまうんです。

だからそのとき、北の地域では
突然変異して、肌が白くなった人たちが
生き延びたんです。
そんなふうにして、
何千年、何万年という時間をかけて適応して、
人々は見た目の違いができてきたんですね。

さて、ぼくの話に戻ります。
6万年前にアフリカにいた人類は、
何万年もかけて、世界各地に散らばりました。
アフリカを出て世界中に拡散した人々の旅路を、
イギリス人の考古学者が
「グレートジャーニー」と名づけているんですけど、
ぼくはこの「グレートジャーニー」を
10年かけて、逆にたどってみたんです。
人類が世界各地に拡散した道のりの中で、
いちばん距離の長い
アフリカから南米の先端までのルートです。

スタート地点は南米の最南端。
ゴールはアフリカ・タンザニアのラエトリ遺跡です。
この遺跡には360万年前の人類の
家族の足跡の化石があるので、そこにしました。

南米の最南端からラエトリ遺跡までは
約5万3千キロ。
昔の人々がどんなふうに広がっていったのかを
自分の肌で感じてみたかったから、
ぼくはすべて、自転車や手漕ぎボートなどの
自分の力だけを使って、そのルートをたどりました。
飛行機や自動車などは一切使いませんでした。
ただし、乳牛、トナカイ、馬、ラクダといった
動物の力は、
「自分で触れるならいい」というルールにしました。

そのグレートジャーニーの旅で
気づいたことはいろいろありますが
ひとつに「人々が拡散した理由」があります。

ぼくはもともと、
アフリカにいた人々が、はるか遠く、
南米の最南端まで拡散していったのは、
人々の「好奇心」や「向上心」が理由かと
思っていました。
「あの山の向こうには何があるんだろう」
「あっちならもっといい暮らしが
 できるんじゃないか?」
そういった思いを理由にして
人々は南米の最南端まで到着したんじゃないかと
予想していたんです。

でも「好奇心」や「向上心」が理由だったら、
南米の最南端にいるのは
いちばん「好奇心」や「向上心」の強い、
新進の気鋭にとんだ人々のはず、ですよね。

だけど南米の最南端に行ってみたら
ぼくが訪れた当時、もうそこには
2人しか暮らしていませんでした。
絶滅寸前だったんです。
現在はもう1人しか住んでいません。
そして彼らは、海に潜って
貝を採ったりして生きていました。
これは要するに、
「ほかを追い出された弱い人たちが
 結果的に、先端に到達した」
ということだと思うんです。

ラオスでも同じような例を知りました。
山の上で米を作る「モン族」という人たちがいます。
彼らは、暮らしやすい長江、揚子江から
逃げて、追い出されてきた人々なんです。

要するに、どちらも
弱い人たちがだんだん突き出されて、
そこに暮らすようになった、ということなんですね。

人が増えたり、よそから人がやってきたら、
残るのは強い人で、弱い人が突き出されます。
弱い人はみんな、追い出されて新しい土地に行く。
突き出された人の中には、
滅びる人もいっぱいいたはずです。
ただ、新しい土地が住み良い場所であれば
人口が増えます。
でも、そのときはまた突き出される。
また人口が増えたら、また突き出る。
時代が新しくなればなるほど、
そういうふうに弱い人が突き出される。
人々の拡散の歴史というのは、
そういうことなのではないかと思いました。

また、弱い人が弱いままではなく、
パイオニアになった人たちが
新しい文化を作って、自分たちを追い出した人より
強くなることがあります。
その典型がイギリスと日本です。
いいことか悪いことかは別にして、
イギリスは世界を征服しようとしました。
日本はアジアを制覇しようとしました。

イギリスの人というのは
これ以上西に行けない島に追い込まれた人たちです。
日本はこれ以上東に行くなら
ハワイまで行くしかないような場所です。
ぼくは日本という場所は
ほかの地域を追い出された弱い人たちが集まって、
切磋琢磨して、いろんな新しい文化を作った
場所なんだと思っています。
たとえば縄文というのはすごい文化ですが、
これも、弱い人たちが素晴らしい文化を作った
例だと思います。

弱いことで突き出された人が
新しい文化を作ることがある、というのは、
人類自体の歴史にも見ることができます。

たとえば、人間は実は非常に弱いものです。
この中でチンパンジーと戦って
勝つ自信がある人はいますか?
実はチンパンジーの握力は300キロ、
白鵬の倍以上あります。
鋭い爪と牙で襲ってきたら、
プロレスラーでも敵いません。
ゴリラだったら握力500キロです。
もう、誰だろうがほとんど関係なし。
素手なら人間はもうぜったいに敵いません。

そんな弱い人間がサバンナに出たら
どうすればいいか?

人間は、2本足で立って歩くことと、
コミュニティを作ること、
武器を持つことなどで、生き延びたんです。
実際に4つ足になってみるとわかりますが、
2本足になると、ずいぶん遠くまで
見えるようになります。
また、コミュニティを作ることでも、
天敵のライオンとかヒョウとかが襲いにくくなる。
あと、武器を使えるのも大事です。
そんなふうにして、弱いからこその工夫をして、
人間はかろうじて生きてきたんです。

わたしたちは、ほんとうに奇跡的な存在です。
実はわたしたちの祖先である
「ホモ・サピエンス」が生まれる前に、
20の人類が生まれたのですが、
「ホモ・サピエンス」以外はぜんぶ滅びました。
ネアンデルタール人も滅びました。
で、わたしたちだけが生き残ったんですね。

また、生命誕生から今までに
生命は13回の絶滅危機を迎えています。
いちばん最後が、恐竜の絶滅時です。
そのときに生き延びたのは
弱いはずの、ネズミのような存在でした。
それがたまたま住処が空いてた森の中に入り、
サルが生まれました。
その中に類人猿が生まれ、人類が生まれました。
すべて弱さからきています。
弱さをもとに、わたしたちは奇跡的に
いままで生きてきたんです。

(第2回につづきます)

2015-05-19-TUE

関野さんの講演を動画で見る

関野吉晴さんのおはなし
グレートジャーニー、
地球を歩いて気づいたこと

第1回
弱いから、遠くまでたどり着けた。
2015-05-19

第2回
日本にきた人々のルーツをたどったら。
2015-05-20

第3回
やりたいことをやってるだけ。
2015-05-21