経営にとってデザインとは何か。宮城県・女川町 篇
経営にとってデザインとは何か。
宮城県・女川町 篇

会社や組織を成り立たせていくうえで、
「デザイン」は、
どんな役割を果たしているんだろう?
そんな問題意識から、
これまで、焼酎「いいちこ」の三和酒類さん、
アート・ユニットの明和電機さん、
新潟の宿・里山十帖さんを取材してきました。
今回、お話をうかがったのは、
宮城県女川町のみなさんです。
東日本大震災によって
7割以上の家屋が無くなったあと、
行政と町の人とが協力しあい、一丸となって、
町をゼロから「創業」している町です。
まさに「経営」という視点から、
「まちづくり」に取り組んでらっしゃいます。
では「町をつくり、経営すること」にとって、
「デザイン」が担う役割とは‥‥?
3人のキーマンに、
インタビューさせていただきました。
担当は「ほぼ日」奥野、
ガイド役に、女川町役場の山田康人さん。
そう、震災直後、わたしたち「ほぼ日」に
気仙沼や被災応援ファンドを紹介してくれた
あの山田さん(当時は宮城県庁勤務)です。

  • 阿部喜英さんプロフィール

    阿部喜英(あべ・よしひで)さん

    有限会社梅丸新聞店代表取締役
    復幸まちづくり女川合同会社 代表社員
    女川みらい創造株式会社取締役
    1968 年女川町生まれ。
    広告代理店勤務を経て新聞販売業を承継。
    東日本大震災で自宅・店舗も流されたが、
    直後から新聞配達を再開。
    あわせて民間産業界がひとつになった
    女川町復興連絡協議会へ参画し
    復興まちづくりへの提言を行う。
    震災後、女川町教育委員会教育委員、
    (一社)女川町観光協会副会長、
    女川町商工会理事を務める傍ら、
    2012年9月に
    民間若手事業者7名で合同会社を設立。
    2014年10月、女川町と共同で
    女川ブランディングプロジェクトを立ち上げ
    「女川水産業体験館あがいんステーション」
    を2015年6月に民設民営で建設。
    また女川駅前商業エリアのマネージメントを行う
    第三セクター「女川みらい創造株式会社」へ
    合同会社として出資し取締役に就任、
    再び笑顔溢れる女川町を実現するため
    日々、活動している。
  • 青山貴博さんプロフィール

    青山貴博(あおやまたかひろ)さん

    女川町商工会。
    地域の商工業の活性化に伴う
    商工会の事業に加え、
    行政に対してまちづくりを提案する民間団体
    『女川町復興連絡協議会』事務局として、
    「住み残る、住み戻る、住み来たる」をテーマに、
    復興プロジェクトを進める。
    また、情報の風化を食い止めるため、
    自身の九死に一 生を得た体験と
    女川町の現状について、語り続けている。
  • 須田善明さんプロフィール

    須田善明(すだよしあき)さん

    1972年、女川町生まれ。現、女川町町長。
    明治大学経営学部経営学科卒。
    株式会社電通東北(現:株式会社電通東日本)勤務を経て
    宮城県議会議員(3期)。
    東日本大震災後の2011年11月に県議を辞し
    女川町長に初当選(2期目)。
    現在は家族とともに仮設住宅暮らし。
    主な役歴として
    自民党宮城県連幹事長(2009.9~2011.10)、
    自民党青年局中央常任委員会議長(2010.6~2011.10)、
    内閣府「選択する未来」委員会地域の
    未来WGメンバー(2014)等。

第1部 阿部喜英さん(梅丸新聞店 代表取締役)篇
第1回 リアスの戦士イーガー。
──
今回、女川の取材をしてみたいと思ったのは、
1年くらい前に連載していた
「経営とデザイン」という観点から、でした。

女川町って、官と民とが一体となって、
津波でゼロになった土地を
設計つまり「デザイン」し直して、
それが、いわゆる被災地と呼ばれる地域でも
「うまくいってる事例」として、
よく、メディアに取り上げられていますよね。
山田
まだまだ現在進行形ですから、
うまくいくかどうかはこれから次第ですが、
おかげさまで
全国から注目していただいています。
──
いわゆる「まちづくり」のことですから、
「経営」というより、
「運営」に近いのかもしれませんが、
まず、女川に来ないうちから、
新しくなった女川駅周辺のデザインを見て‥‥。
山田
はい。
──
いいなあと思いました。

とくに駅前のメインストリートの先から、
初日の出が拝める、というのが。
撮影:須田善明さん(女川町長)
山田
プロムナードを軸とした駅前の空間一体は
町の人たちと行政、つまり町役場、
さらには専門家の方々にも入っていただき、
一緒にアイディアを出しながら、
デザインしました。

駅から海へ向けて、
まっすぐ遊歩道を通すことが決まったあとに、
初日の出が、道の真ん中から上がるように
設計できるんじゃないか‥‥
という話に、なったそうなんですが‥‥。
──
ええ。
山田
理論的にはそうなるように設計したものの、
実際に確認しないと
大きな声では言えなかったので、
今年の元日、
町長はじめ関係者が駅の展望台に立って、
無事に道の真ん中から上がったのを見て、
ホッと、胸をなでおろしたそうです(笑)。
──
行政と、町の人たちが知恵を出し合って
どういう町にしたいか議論しながら、
新しい女川をデザインしているんですね。

で、取材にあたり、山田さんが、
最初にご推薦くださったのが、阿部さん。
阿部
こんにちは、はじめまして。
──
こちらこそ、はじめまして。

お仕事は「新聞販売店」とのことですが、
いろんなお役に就かれているそうですね。
山田
喜英さんの肩書の数、半端ないですよ。
阿部
やめてください(笑)。
──
たとえば‥‥。
山田
教育委員、観光協会の副会長、商工会の理事、
震災後に生まれた
「復幸まちづくり女川合同会社」の代表社員、
テナント型商店街・シーパルピア女川の
エリアマネージメントを行う
「女川みらい創造株式会社」の取締役‥‥。
阿部
震災が起きた当時は、
小学校のPTA会長をやってる新聞屋さん、
というだけだったんですが‥‥。

私、比較的、連絡のつきやすい人間なので、
断らずに引き受けていたら、
いつの間にか‥‥こうなってしまいました。
──
新聞屋さんって、何かそんな感じがします。
単純に、お知り合いが多そうだし。
阿部
さすがにこれは引き受けすぎだろうと思い、
今、少しだけ後悔しています(笑)。
──
震災後は、そうやって女川の復興のために
お忙しくされているそうですが、
まずお聞きしたいのは‥‥震災前のこと。
阿部
はい。
──
ここ女川町の「ご当地ヒーロー」である
「リアスの戦士イーガー」を
プロデュースされたと、うかがいました。
阿部
ストーリーや設定は私が担当しましたが、
正確には
女川町商工会青年部の事業ですね。
──
僕、山田さんから教わって、
イーガーのDVDを持っているんですが、
個人的な話で申しわけないのですが、
7歳と2歳の娘が、
めちゃくちゃハマっているんです。

悪役クララーゲが大好きな7歳など、
主要登場人物たちのセリフのやり取りを、
スッカリ丸暗記してしまうほど。
山田
そうなんですか(笑)。
上の段の右側が悪役クララーゲ。
必殺技は、電気ショックを与える「電気クララーゲ」である。
DVD『リアスの戦士 イーガー外伝』販売サイトはこちら

──
キャストには、たくさん、
女川の町の人が出演なさってますよね。

女川に実在する中華料理店、
金華楼(きんかろう)のご主人も、
そのままの役として出てきますし‥‥。
阿部
出演者について言えば、
プロと地元と半々、という感じですね。
──
挿入歌がハードロック調だったのですが、
クレジットを見て驚きました。

作曲・須田善明‥‥って
女川の町長さんじゃないですか(笑)。
山田
メタル好きなんです。

町の音楽イベントでも、
たまに、ギターを弾いていますね。
あ、ホントは
ベーシストらしいんですが(笑)。
──
戦隊モノなんて他に山ほどあるでしょうに、
女川とは縁もゆかりもない小学生が、
どうして、あんなに、食いついているのか。

リアルと創作とのはざまで、
女川の一般人、つまり「素人」の人たちが、
自分たちのことをおもしろがりながら、
演技を楽しんでいる、
その不思議な吸引力が‥‥あるんです。
阿部
ありがとうございます。
──
ぜひ、イーガーの生まれたいきさつを、
教えてください。
阿部
私、大学を卒業したあと、
広告代理店に勤務した経験があって。

仙台の会社で8年ほど勤めたあとに、
実家の家業である
新聞販売店を継ぐために帰ってきたら、
いろいろやれと、声をかけられて。
──
広告代理店のときの経験を活かして。

で、さまざま情報発信していくなかで、
イーガーが誕生した‥‥んですか?
山田
イーガー以前も、
女川町の「ふるさとCM」をつくって
ふるさとCM大賞で2位を獲ったり。

仙台広告賞で
1位を獲ったりしてたんですよね?
──
すごい。
阿部
いえいえ、女川の青年部員には
バイタリティにあふれた人が多いんです。

女川みなと祭りという夏祭りのパレードでも、
商工会青年部が
独自に「ねぷた」をつくってみたりしていて。
──
ええ。
阿部
そんななか、2009年のお祭りのときに、
当時の青年部長が、
戦隊モノのヒーローを呼んだんですよ。
──
はい。
阿部
子どもたちが喜ぶかな、ということで。

で、呼んだまではいいんですけど、
ヒーローショー以外の
握手会にしても、写真を撮るにしても、
なにかと「別料金」で。
──
ヒーローも慈善事業ではなかった‥‥。
阿部
ん、これは、何か違うぞと思いました。

ちょうどそのとき
『超神ネイガーを作った男』という本を
読んだんです、たまたま。
──
超神ネイガー‥‥というと、
有名な、秋田のご当地ヒーローですね。
阿部
ネイガーを「作った男」は、
海老名保さん、とおっしゃる方です。

プロレスラーになりたくて上京して、
プロレスラーになったものの
首を怪我してしまい、
生まれ故郷の秋田へ戻って、
スポーツジムのトレーナーをやりながら、
「手先が器用だった」こともあって、
幼少のころからの夢だった
「ヒーローになりたい」を叶えた人です。
──
手先が器用‥‥つまり衣装を自作。
いろんな才能のある方なんですね。
阿部
海老名さんの本を読んで、予算をかけて、
外からヒーローを呼ぶんじゃなく、
自分たちで
自分たちのヒーローをつくろう、
という発想になり、
さっそく秋田に海老名さんを訪ねました。
──
素早い行動です。
阿部
商工会青年部の研修旅行で行ったんですが、
そのメンバーのなかに、
キャラクターデザインが出来たり、
造形が出来たり、
アクションの出来る人が入っていたんです。
──
そんな‥‥「アクションができる人」まで。
阿部
空手の日本一になったことある人がいて、
つまり「足が上がる」わけです。

キックの際、足がピッとしてなかったら、
かっこ悪いじゃないですか。
──
ヒーローたるもの。おっしゃるとおりです。
阿部
あるいはまた、
「テーマソングを歌えそうな人」
としては
「カラオケで、毎回90点以上を取る人」
が、メンバーの中にいました。
──
はああ。
阿部
さらには「悪役のできる人」も。

悪役が
きちんとお客さんをいじれるかどうかが、
ショーのおもしろさを左右する、
重要なファクターになってきますから。
──
その人は、どういう人だったんですか?
阿部
むかしからイベントの司会が得意で、
笑いの取りかたを知っていて、
いわゆる「客いじり」のできる人です。
──
今の話そのものが、ドラマのようです。
阿部
そういうメンバー20人くらいで押しかけて、
「ヒーローのつくりかた」を、
ゼロからすべて
海老名さんに教えてもらって生まれたのが、
「リアスの戦士イーガー」なんです。
──
イーガーって、パッと見、
戦隊モノのヒーロー然とした姿形ですけど、
よく見ると、
いろんな要素がデザインされてますよね。
阿部
ウミネコ、笹かまぼこ、赤灯台に、白灯台。
女川らしさを、ふんだんに取り入れました。
──
刀は銀鮭だし、盾はホタテ貝だし‥‥。
ちなみに「イーガー」って、方言ですか。 
阿部
「いーがー、おめだづ、よーっぐ聞げ!」
というのが、決めゼリフなんです。
──
「いいか、おまえたち、よーーく聞け!」
そこからイーガー‥‥なるほど。
阿部
イーガーの誕生には、
「ふるさとCM」をつくったときのことが、
大きなヒントになっています。

コンテストでは
毎回、入賞はしていたんですけれども、
まだ入賞どまりだったころに、
ひとりの審査員の方から、
「いい線いってるけど盛り込みすぎだから
女川の魅力を、ひとつに絞るように」
とアドバイスされたんです。
──
ええ。
阿部
おっしゃることはわかるんですけど、
ひとつに絞るのは、なかなか大変で。

絞って絞って、
3回目など「サンマ1本」に絞ったんですが、
優勝できませんでした。
──
これ以上、どこを絞ればいいのか、と。
阿部
ならば「逆転の発想」ということで
魅力をひとつにまとめりゃいいべ‥‥と、
魅力をてんこ盛りにしたのが
「リアスの戦士イーガー」なんです。
──
リアスの戦士は、女川の名所や特産品を、
文字通り「体現」していたんですね‥‥。

当時、ご当地ヒーローって
他の地域にも、いっぱいいたんですか?
阿部
いえ、秋田のネイガーを別にすれば、
全国的にも、たぶん、まだ数えるほどしか。
──
そこに、先見の明があったと。
で、このあたりまでが‥‥震災前のお話。
阿部
はい、2010年の夏です。

これからイーガーを有名にして、
イーガー目的で女川に来てくださった
お客さんにも、
女川町全体を楽しんでもらおうと
計画していた矢先に、震災が起きたんです。
(つづきます)
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2016-11-07-MON