「池上彰」という新しい職業。 「池上彰」という新しい職業。
キーンコーンカーンコーーン!
池上彰さんを「ほぼ日」にお迎えして、
糸井重里と2時間の特別授業が行われました。
NHKの記者、首都圏ニュースのキャスター、
『週刊こどもニュース』のお父さんを経て
ジャーナリストとして大活躍中の池上さん。
どんなジャンルでも、わかりやすく解説してくれる
「池上彰」という新しい職業ができたのでは?
そんな池上さんの居場所ができるまでのお話を、
即興解説を交え、たっぷり全13回でお届けします。
第2回 記者の心がわかるキャスター
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糸井
池上さんは、記者が書いてきた原稿を
自分で書き直すことで
わかりやすいものにしていたんですね。
池上
そういうことですね。
それと同時に、記者の原稿を見ていると、
おもしろく紹介できるはずの話が、
つまらない原稿になっていることにも気づきます。
たとえば、高速道路で牛が逃げたとします。
若い記者の原稿をそのまま読んでみると、
ただ牛が逃げた。
運転手が積み荷を集めるのに大変だった。
それだけの話になっているわけですよ。
もうちょっと、なんとか工夫できないか?
「これはモウ大変」とか言ってみるとかね(笑)。
糸井
モウ大変(笑)。
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池上
あるいは、住宅地にサルが出没して、
警察も出てきたけれど逃してしまい大騒ぎ、
というニュースがあるとしますよね。
事実だけを伝えるのでは能がない。
大変だったんでしょう?
サルも取り逃がしたんでしょう?
それなら「『サル者は追わず』と引き上げました」
というようなダジャレを交えたらどうでしょうか。
わかりやすさと同時におもしろくできないか、
日々研究するようになったんです。
糸井
もともとダジャレを
よく言うタイプだったんですね。
池上
親父ギャグかもしれませんね。
そうそう、ダジャレで思い出したのですが、
声に出さずに原稿を書くせいで、
気づかずにダジャレになってしまうことがあるんです。
以前ね、千葉県でコレラ患者が大勢出たときに、
記者の原稿に「これらのコレラ患者は」と書いてあった。
私が声に出して、初めて気づくわけです。
「おいっ! コレラ患者が出ているときに
ダジャレ言ってる場合じゃないだろ」と注意すると、
「あっ、そういえばそうですね」と。
目で読むだけでは気づかないんです。
声に出して初めて「これじゃいけない!」となる。
糸井
気づかずに書いちゃったんだ。
池上
それと同時に、
耳で聞くだけでは、わからないこともあります。
日本語には同音異義語がたくさんありますよね。
たとえば、「大自然のキョウイ」と言ったときに、
どちらの「キョウイ」を思い浮かべますか?
素晴らしい「驚異」と、怖い「脅威」とね、
二通りありますでしょう?
ですから、耳で聞いて誤解がないように
言い換えていく作業をするようになったんです。
首都圏ニュースを担当したことで、
わかりやすさとは何かを考えるきっかけになりました。
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糸井
記者時代の池上さんが持っていた、
人を出し抜く力だとか、
ある意味では商品として力のある
「嫌な原稿」を書く力は、
キャスターになった頃に失われるんですか?
池上
失われるのではなく、
記者が書いてきた原稿の
微妙なニュアンスを読みとって、
「ははぁ、ここを言いたいんだな」
と活かされることになりました。
糸井
自分がやっていたから、わかるんですね。
池上
原稿をそのまま短くしてしまうと、
書いた記者は怒るんです。
「ここが肝じゃないか、わかってないな!」とね。
私は原稿を書いていた側なので、
記者の残したいところが汲み取れるんです。
そこを残しながら、わかりやすくするためには
どうしたらいいのかを考えていました。
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糸井
記者の頃から
レイヤーが上がったわけですね。
池上
ああ、そういうことですね。
ふたつめの転機がですね、
首都圏ニュースのキャスターをしていた頃に
『週刊TVガイド』という雑誌で、
「ニュースを解説する連載を持ちませんか?」
というお話をいただいたんです。
毎週、世界のことや日本のこと、
あらゆることをやさしく解説する連載です。
これを読むのは『TVガイド』の読者ですから、
NHKの視聴者とはちょっと違います。
あるいは、難しい雑誌を読む人とも違いますよね。
このときに中東問題とかイスラム教とか、
毎週必死になって勉強をして、
中学生でもわかるような解説を心がけました。
5年の間、200本以上の原稿を
書いていたことになります。
糸井
『TVガイド』の連載は、
どのぐらいの文章量だったんですか?
池上
当時の『TVガイド』は、
まだ大判になる前の小さなサイズでした。
そこに、見開きの2ページですね。
原稿用紙にして6枚程度でしょうか。
この連載の中で、いろんな実験をしました。
読者に語りかける原稿にしたこともあるし、
父親と中学生の娘の会話にしたこともありました。
中学生の娘が親父にツッコミを入れたり、
親父が娘をたしなめたりね、
お遊びを入れながらニュースを語るんです。
糸井
雑誌の連載と同時に、
首都圏ニュースもやっていたわけだから、
新しい何かがひっきりなしに生まれてきますね。
池上
文章でわかりやすく解説することを続けたおかげで、
結果的に訓練を受けていたんだと思います。
そして首都圏ニュースのキャスターを
5年間続けたところで突然、
『週刊こどもニュース』をやるように言われました。
これが3回目の転機になりました。
糸井
集大成が「こども」にいくわけですね。
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池上
結果的にそうなりましたね。
糸井
『週刊こどもニュース』を
担当することになったのは偶然?
池上
偶然ではないんです。
それまではニュースを担当していましたが、
私はもともと記者ですから、
画面に出てアナウンサーみたいな仕事をやるのが
嫌だなと思っていたんですよ。
私はもっと、現場に行って取材がしたかった。
本来自分はそういう記者なんだから、
現場に戻してくれって頼んでいたんですよ。
すると、報道局の内部では
「いいだろう。じゃあ、現場に戻してやるよ」
と認めてくれたわけですね。
ところが、まったく違うところで
『週刊こどもニュース』という番組を始めよう、
という話が進んでいました。
家族形式でやるぞ、お父さん役を誰にしようか。
そんな話がまとまっていたときに、
「池上が首都圏のニュースを降りるらしい。
じゃあ、池上をお父さんにしよう」と決まった(笑)。
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糸井
池上さんが適役だったんですね。
池上
あるとき突然、報道局長に呼ばれましてね、
「キミ、すまないが4月から
『こどもニュース』をやってくれないか?」。
糸井
「くれないか」とは言いつつも、
「やれ」ってことですね。
池上
そうそう、そうですね(笑)。
「やってくれない?」という感じで言っていますが、
直接の上司より、さらに上の上司からの言葉です。
「はい」って答えるしかないでしょう?
もはや、業務命令ですよね。
糸井
その時、池上さんはどう思いました?
池上
一瞬、面喰らいましたよ。
自分にも野心みたいなものはありましたから。
現場に戻ってもう少し実績を積んで、
将来はいずれ解説委員だとか、
ハードなNHKスペシャルのキャスターとか、
そんなものになれるといいなあ、
という野心があったわけです。
糸井
武勲をたてたかったんですね。
池上
そのつもりでいたのに、
「ええっ! 子ども向け?」って(笑)。
でも、報道局長は私にこう言うんです。
「お前は首都圏のニュースをやっているときに、
『NHKのニュースがわかりにくい』って
文句を言い続けていただろう?
じゃあ、わかりやすいものを自分でやってみろ」
と言われて、ああそうか、と。
糸井
ああ、池上さんの上を行かれたんだ。
(つづきます)
2018-11-29-THU