純次と、直樹と、重里と。
高田純次さんと浦沢直樹さんが毎週日曜に放送している
文化放送のラジオ番組「純次と直樹」に
糸井重里がゲストで招かれ、
特別番組としてオンエアされました。
その番組の収録時間は余裕の2時間半超え!
3人の短い言葉のやりとりに潜む
絶妙な味わい深さをあらためて楽しんでいただけるように
「ほぼ日」のテキストにして、
みなさまにお届けいたします。
ラストの高田さんのノーパンの話は、
同席したスタッフは今も忘れることはできません。
第3回 3人に下積み時代がない理由。
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高田
ところで糸井さんは
「休みのクリエイティブが足りない」
という課題をお持ちだと伺いました。
糸井
そうなんです。
例えば漫画でいうところの、
どうやったらもっといいものを描けるか、
にあたることはいくらでも考えます。
でも、どう自分を楽しませるか、
どう休むかとかということについては、案外ケチで。
「その時間があったら漫画描いちゃおうかな」
というほうへすぐにいっちゃう。
これはダメだと思うんです。
浦沢
僕の場合、5歳ぐらいからずっと漫画を描いてます。
漫画を描いてるときが一番楽しいから、
学生時代は、陸上部に入っても軽音楽部に入っても、
傍らでいつも漫画を描いていました。
そうやって描いた漫画が積もっていって、
就職活動で出版社に持っていってみたら
新人賞を獲って漫画家になりました。
糸井
すごいなあ。
浦沢
僕にとって漫画は最大の遊びなんです。
糸井さんのおっしゃる「休みのクリエイティブ」は
僕にとっては漫画を描くことかもしれません。
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糸井
そうでしょうね。そうなんでしょうね。
浦沢
さすがにこのキャリアになってくると、
少しだけ自由な仕事のし方を
とらせてもらえるようになりました。
だったらアシスタントを使わないで
できるだけ全部を自分で描こう、
ということになってしまった(笑)。
糸井
逆に。
浦沢
「浦沢さんは悠々自適で、
アシスタントさんに任せて
自分で描いてないんでしょう?」
なんてよく言われますが、
そうなんです、全く逆。
このキャリアになったからこそ、
やっと自分一人で描ける時間が
取れるようになったんです。
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高田
浦沢さん、もし漫画家にならなかったら?
浦沢
出版社を受けたときは当然
編集者になろうと思っていました。
僕にとって漫画は遊びだから、
それを仕事にしようという気はありませんでしたから。
糸井
仕事ってのは、もうちょっと、
つまんないことなんだと思っていたんだね。
浦沢
そう。だから仕事にしたくなかった。
糸井
こんなに楽しいことが仕事だなんて
思えなかったんだよねえ。
高田
糸井さんが、もともとなりたかったものは
なんですか?
糸井
僕は夢よりなにより、
「働きたくない」という気持ちが一番強かった。
働くことを思って、布団をかぶって泣いたんですよ。
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高田
え、なんで?
糸井
「将来、働かなきゃいけないんだ」って。
浦沢
いくつくらいの頃ですか?
糸井
小学6年くらいだと思うんですけど。
浦沢
よかった。
25歳くらいの頃かと思った(笑)。
糸井
二日酔い気味で仕事に出かける父を見たりして、
「いやだろうな、偉いな」
と思っていたんだと思います。
それに、昔のサラリーマン映画を観ると、
平社員が上役にものすごく怒られるじゃないですか。
あんな目に遭うんだと思ったら、もう
悲しくて悲しくて。
浦沢
僕も自分を漫画好きなどと言いましたが、
連載が始まると当然「締切」が発生します。
それを思うと、糸井さんと同じく
布団をかぶって泣きたくなります。
糸井
好きと締切、そこは違うわけだ。
浦沢
「締切」ができるのが嫌なんです。
いつまでに描け、という世界が
連載になったら何年も続く。
その生活が始まるのかと思うと、
布団をかぶって僕は泣きますよ。
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糸井
ははぁー!
高田
浦沢さんは、
売れない時期もあったわけでしょ。
浦沢
僕はほぼデビューから‥‥。
高田
いきなり来た?
浦沢
うん、たぶん下積みがないんです。
高田
糸井さんも?
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糸井
僕は下積みという意識がありませんでした。
のちにつぶれる会社に就職して、
「職ができた」と思って喜んでいたぐらいですから、
下積みのような時代はあったんだろうけど。
浦沢
きっと「売れて、名前が世に出て‥‥」という
成功例を頭で描いてないから、
下積み感がないんですね。
糸井
そうそう、ないない。
浦沢
僕も同じ。
下積みはあったのかもしれないけど、
下積み感がない。
高田
あ、そういや俺もそうだ。
「高田さん、苦労した時代は?」って
よくインタビューなんかで聞かれるけど
そのときは苦労してるとは思ってなかったから。
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浦沢
思わないですよね。
糸井
多分、高田さんの場合は
劇団「東京乾電池」時代が
苦労ってことになっちゃうんでしょ? 
高田
なっちゃう。
糸井
当時僕らは、
「おお、東京乾電池!」と思って、
スターとして見てましたけど。
浦沢
そうですよね、うんうん。
高田
僕らも苦労しているとは思ってなかったですよ。
糸井
僕も「自分は食えている」とずっと思ってた。
でも今思えば、かなり貧乏でした。
(つづく)
2018-12-13-THU